サーフボード◆サーフィン |
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サーフィンの歴史
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海の民」古代ポリネシアの人々は大洋を航海する高度な技術を持っていま した。そのような彼らの発明の一つにアウトリガーカヌーがあって、カヌーの 片側を支持する浮の着いたこのカヌーは転覆に強く、彼らはこのカヌーで珊 瑚礁の外へ漁に出かけていました。 珊瑚礁には毎日のように波が押し寄せていますので、カヌーで漁から帰ると きに必然的に押し寄せてくる波に乗ってしまうんです。 |
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漁業の技術の一つであったその"波乗り"が、いつのまにかあまりの楽しさを 求め、そしてカヌーは次第に小さくなってサーフボードの原形が誕生したらし いです。 これがサーフィンの誕生だと思われます。 その後、サーフィンは盛んに行われていました。 イギリス人の検家ジェームス・クック船長がヨーロッパ人で初めてサーフィン を目撃したんです。 彼はタヒチとハワイでサーフィンを目撃してそのことを航海日誌に書き残して るんですよ。しかし、彼の発見がきっかけとなりポリネシアの島々にヨーロッ パの文化や宗教が押し寄せるんです。 宣教師たちは布教の妨げになるとの理由でサーフィンを禁止し、サーフボー ドを取り上げて燃やさせてしまったのです。これで古代サーフィンは終わりを 向かえたんです。ほんとにひどいですよね。 その後、20世紀初頭になって再びサーフィンをする動きがハワイで起こった んです。再び教会の人々はこれを阻止しようとしましたが、ワイキキの海岸 だけは黙認したんですよ。はっきりとした理由は不明なんですが、ヨーロッパ やアメリカから移り住んでいる人たちを海難から守るという意味があっただと 思われます。 これがきっかけとなりハワイアンだけでなく移住してきた人達もサーフィンを 楽しむようになったんですよ。 そのなかにジョージ・フリースという青年がいたんです。 彼はカリフォルニアに始めてサーフィンを伝えた人なんですよ。 また彼はカリフォルニアの最初のライフガードになって1907年には日本人の 漁師を七名救助したという記録も残っているんです。 ハワイでは急速な観光地化に伴ってライフガード組織が必要になっていった んです。 その主要な役割を担ったカハナモク家の長男が「近代サーフィンの 父」と呼ばれるデューク・カハナモクなんです。 サーファーとしてだけにとどまらずスイマーとしても卓越した技術を持ってい たデュークは1912年にストックホルムオリンピックのアメリカ代表として出場 したんです。 彼はオリンピックの100mm自由形で世界新記録を達成しちゃいます。 しかもそれから17年間記録は破られる事はなかったんです。 一躍世界的なスターとなったデュークは世界の水泳競技大会に招待される ようになったんです。 デュークは招かれた国々でチャンスがあればサーフィンをしてこの素晴しい スポーツの普及に努めたんですよ。 1915年の1月15日にオーストラリアのシドニーで行ったエキジビションにより オーストラリアではサーフィンは国民的なスポーツとして大きな発展を遂げる んです。 デュークの偉大な功績により近代サーフィンの礎が築かれたといっても過言 ではないです。 彼の偉業を称えるためにハワイのワイキキ海岸とオーストラリアのフレッシ ュウォーター海岸には彼のブロンズが建てられているんです。是非一度拝見 したいものですね。 こうして産声をあげた近代サーフィンは世界の各地で急速に発展いく事にな るんですよ。 |
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